皆さん、こんにちは!
クマキチです♪
今日も楽しく熱く古銭語りを致します!(^^)!
さて、、今日語るコインは「和同開珎」です!!
「和同開珎」と聞いてご存知の方も多いことでしょう。
こんな古銭です(本物です!)
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古銭に興味の無い方でも日本人ならば和同開珎という名前を聞いたことがある人は多いと思います。
小学校の頃の社会の歴史の勉強とかでも「和同開珎」という名前は出てきたと記憶しております。
私も小学校の頃から和同開珎を知っていましたからね。
この和同開珎、「日本で最初のお金」というイメージを持つ人が殆どだと思います。
正確には日本で最初の「流通貨幣」と言ったほうが良いでしょう。
何故かというと、和同開珎が登場する前も日本人は古来から「貝」や「銀」、「布」、「石」、「塩」などをお金として使っていたからです。
要は物々交換の延長上として貝がらや布などをお金として使っていました。
さて、この和同開珎は当時昔の政府が「和の国(日本)に流通貨幣を作ろう!」と企画されて鋳造されたお金です。
隣の国の中国(当時は唐の時代)で既に流通貨幣が大いに普及しておりました。
当時の日本政府もその中国の流通貨幣を真似て和同開珎を作ったとされております。
ちなみに和同開珎は、当時の中国は唐の時代に流通していた銅銭「開元通宝」を真似て作られたと伝えられております。
確かに開元通宝と和同開珎はなんとなく似ておりますよね(*^^*)
(開元通宝)
和同開珎が作られたキッカケは当時、武蔵の国(今の埼玉県の秩父群あたり)に大量の天然銅が発掘されて、その銅が朝廷に献上されました。
708年の頃なので飛鳥時代から奈良時代になる境目の頃ですね。
銅の産出をお祝いして年号を「和銅」と改め貨幣の鋳造が始まったと言われております。
それで作られたのが「和同開珎」です。
ただ当時は和同開珎も銀銭がメインに作られて、その後に銅銭が作られたとされております。
ところで、この和同開珎は本当に日本で最初の流通貨幣だったのか?
これは、その後の遺跡発掘などで色々説が分かれました。
和同開珎よりも古い時代(683年)に「富本銭」という銅銭が鋳造されております。
また更に昔には「無文銀銭」という銀で出来たお金がありました。
それを踏まえると果たして和同開珎が本当に日本発の流通貨幣なのかは疑問が残ります。
ただ、現在では「富本銭」や「無文銀銭」に関する文献や資料があまり無いので、名目上は「和同開珎」が日本で最初の流通貨幣という説が有力。
あと「和同開珎」の呼び方も2通りあります。
私が子供の頃は「わどうかいほう」と呼ばれておりました。
しかし、現在では「わどうかいちん」と呼ばれることがほとんどです。
日本の貨幣史を最初に彩ったこの和同開珎。
日本始祖のお金。
・・・そんなイメージを幼い頃から持っていた私。
小学生の頃から小銭レベルの古銭をコツコツと集めていた大の古銭好きだった私。
そんな小学生時代の私が「日本最初のお金」と聞いたら欲しくなるのも当然であります。
当時、「私が欲しい古銭ベスト1」でしたね!(ベスト2は小判でした)
ただ、和同開珎は今も高価な古銭ですが、私が子供だった当時も高価で小学生の小遣いレベルではとても買える代物ではありませんでした。。
なので、子供時代~若い頃まではずっと憧れのままで手に入れる事はありませんでした。
私が和同開珎を手に入れたのは大人になった最近ですね。
しっかりと素材を科学分析された鑑定付きの本物の和同開珎を手に入れた時は感無量な気持ちでした。
和同開珎は今から1300年位前の古いお金です。
だから状態の良い物などはほとんどなくボロボロに朽果てたような風体の古銭です。
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ただ、そのボロボロに朽果てた感じが返って歴史的ロマンを感じるのは私だけでしょうか?
巷の古銭市場には傷や劣化がほとんど見られない綺麗な和同開珎も散見されますが、果たしてこれが本当に本物の和同開珎なのかは疑問です。
なんせ、和同開珎などを筆頭に皇朝銭と呼ばれる古いお金は偽物、贋物も多いです。
「日本貨幣商組合鑑定付き」と銘打った和同開珎ですら本物かどうか疑わしいくらい(私は結構疑り深い性格??^_^;)
本物の和同開珎や皇朝12銭などを求めるなら、素材などをⅩ線などで徹底的に歴史分析された和同開珎が一番信憑性が高いです。
まぁ、これは他の古銭に関しても同じことが言えるのですが和同開珎などの皇朝銭は特にそれが重視されると思うのです。
和同開珎は決してお手軽な値段で買える古銭ではありませんが、今後も本物を求めてコツコツと買い集めていきたいと思っております\(^o^)/
でも、一番の目標は皇朝12銭を全部集める事ですかね。
あと欲を言えば銀銭の和同開珎も欲しい!!
かなりハードルは高いですが・・・・古銭収集の夢とロマンは膨らむ♪