たかが天保通宝、されど天保通宝!ハマればハマるほど迷宮入りする天保銭の魅力

天保通宝 徒然古銭日記

天保通宝もバカに出来ない!

皆さん、こんにちは!

今日も古銭について、あーでもない、こーでもない事を色々語っていきたいと思います。

日本古銭を語るならば天保通宝は無視できない存在です!

天保通宝は寛永通宝にせまるほどメジャーな日本古銭であります。

「天保銭」という愛称でよく呼ばれますが、その銭形は雄大かつ重厚!

正に「ザ・日本古銭!!」といっても過言ではありません。

確かに天保通宝は大きくて重量もあり見た目はかなり貫禄があります。
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天保通宝 本座広郭

天保銭

寛永通宝に比べてずっと立派な古銭に見えます。

古銭について詳しくない人が見ると「これはかなり価値のある古銭では?」と思ってしまうこともあるそうです。

しかし・・・・古銭に詳しい人から見ると「なんだ天保銭か・・・」と思う人も多いでしょう。

確かに天保通宝は日本古銭に詳しい人から見たらありきたりの古銭です。

江戸時代に大量に発行された銅銭だけに現在も現存数も沢山余っており、それほど希少価値がある古銭ではありません。

安いありきたりな天保通宝ですと1枚500円~1000円位で買えます。

天保通宝

見た目は立派でゴツくて重量感があって重厚感も感じ、素人目線では価値が高そうな天保通宝ですが、それほど価値が高くはありません。

明治時代の初期に明治政府が新しい貨幣制度を整備する前に、とりあえず江戸時代のお金を通用させておりました。

その時に天保通宝も明治時代に引き続き使われておりました。

明治時代以降の天保通宝の貨幣としての通用額はわずか「8厘」でした(笑)

ちなみに明治時代初期に寛永通宝の1文銭が1枚1厘として通用しておりました。

大きくて小判型でずっしりと重くて立派な天保通宝がわずか8厘とは・・・

これは正に見かけ倒しのお金ですよね(笑)

なので当時の庶民の間では見かけ倒しのダメ人間の事を「天保銭」と例えていたそうです。

「隣近所のゴク潰しのダメ息子は天保銭だ!」・・・みたいな会話が明治時代以降よく庶民の間で使われていたそうです^_^;

そこまで天保銭の評価が低かった明治時代以降ですが、これでも江戸時代では一応、「天保通宝1枚=100文銭」として通用していたんです。

天保通宝の裏面を見ると「當百」と書かれておりますが、これは100文という額面を意味しております。
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100文銭

しかし江戸時代も不景気でインフレが進むにつれて天保銭の価値が落ちていき100文銭だったのが80文⇒60文⇒50文以下と額面価値が下がっていきました。

さて・・・・見かけ倒しのダメ通貨の代表選手みたいな天保通宝ですが、現在は意外に侮れない点もあります。

つまり天保通宝の中にももの凄い価値が高い種類がいくつもあるということです。

一見すると、どれも同じ銭面デザインが同じに見える天保通宝ですが実は種類が非常に豊富です!

一見すると、どれも同じに見える寛永通宝が実は数百種類あって中には数十万円もする希少価値のある種類があるのと同じです。

天保通宝も細かく分類すると100種類以上は余裕であります。

本座広郭、本座中郭、本座長郭、本座長郭などを筆頭に「水戸藩鋳銭」「薩摩藩鋳銭」「福岡藩鋳銭」「高知藩鋳銭」「萩藩鋳銭」「秋田藩鋳銭」など地方で作られた天保通宝などを含めるとかなりの種類になります。

こちらが比較的、希少価値の高い「本座中郭」です
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天保通宝 本座中郭

天保通宝 本座中郭 裏面

こちらが天保通宝の地方銭である「薩摩藩鋳銭」
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天保通宝 薩摩藩

天保通宝 薩摩銭

天保通宝の中には1枚数万円~数十万円位は余裕でする価値の高い天保通宝も存在します。

特に母銭などは高価です。

また1枚数千円位するそこそこ価値のある天保通宝もあるので「天保銭なんて・・・」とバカには出来ません。

ただ天保通宝は寛永通宝と同じく銭面の分類が非常に多く細かく奥が深い。

色々な手変わり品を探して天保通宝を収集するのも非常に楽しい。

でもハマると迷宮に迷うような気持ちにもなる。

一見シンプルなデザインの天保通宝ですが、「天保銭なんて・・・」とバカに出来ない古銭であることはご理解頂けたかと思います。

天保銭についてのより深い知識を身に付ける為には、やはり天保銭の専門書や専門的な文献を読み込むのが良いです。

天保銭について体系的に書かれた書籍もあるので、それで勉強し価値ある天保通宝を見つけてゲットしましょう!

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